――――― 時折、そういう事がある。


決まって風の無い、静かな夜。
月明かりが妙に柔らかい、夜だ ――――― 。







 訪い 







夢に辿り着いたと思った丁度その時、遠慮がちに室の扉が開く。



――――― 柄でも無い。君はもっと不躾な奴だった筈だ。



やがて人一人が通れるくらいの隙間ができて、君はその隙の無い身のこなしで内に入ってくる。
そして細心の注意を持って、扉を閉めるのだ。


そこからここまで歩いてくるのが、また遅い。
ひどく緩慢とした足取りで、無造作に羽織った上衣を引き摺って、私の処までやって来る。



――――― 何故だ?
どうしてそう、忍び込むようにやって来る?


――――― それが君の遠慮の仕方か?
遠慮をするのなら、そもそも何故ここに来る?



静かに床を擦る音は、ごく間近まで来て止む。
そうしてほんの少しの間、静寂がその場を支配する。


君はようやく、傍らに腰を降ろす。
慎重を期した筈なのに、微かに軋む音がしてしまうのは不本意だろう。
だが、その時やっと、君は口を開くのだ。



「――――― 公瑾、…」


最初は、少し掠れている。
だから君は言い直す。


「……公瑾、起きているか……?」


そこまで問われて、初めて私はのろのろと目蓋を持ち上げる。


――――― 解っているのだ、最初から。
気付いているから、声を掛けられるまで知らぬ振りをする。
途中で気分を変えたらいつだって、黙って帰って行けるように。

しかし未だかつて、君が声を掛けずに出て行ってしまった事は無い。


「……何だい、伯符?」
私は、僅かに首を傾けて君を見る。
夜の闇の中では、あまり表情は解らない。
そこからすっと手が伸びてきて、私の頬を軽く包んだ。


「独り寝は嫌なんだ。…特に、今夜は……」


言うなり、手は弧を描くように動いて首筋を辿り、夜着の衿の内へと入り込もうとする。
それを私は、やや煩わしそうに捕らえたのだった。

「伯符、待て」

「――――― 駄目か、公瑾?」

その声には強引さなど全く無い。ただ冷静に、問うている。


「『待て』と言った。『駄目だ』とは言っていない。――――― 私は今まで眠っていたのだよ?」




捕らえた手を無造作に返す。
上体を起こし、衿を正して牀台を降りた。


卓上の水差しを取り、杯に注ぐ。
水を含みながら窓辺に寄り、少し開けて夜空を見た。


――――― あぁ、やはり。月が出ている。





私が咽喉を潤す間、君は牀台の縁に座って待っている。
片膝を立て、その上に両腕を乗せ、更に顔を半分埋めている。

何だか、とても悲しんでいる様だ。


だが、悲しい事など君にはたくさんあるだろう。
夭逝の相。
父親の不在。その死。
一族の解体。
自尊心に反して膝を折る屈辱。
約束の反古。
それらに対する無力感。
そして願わくは、離れて過ごした日々を ――――― 。



―――――…… しかし、何故『今』?



私は手にした杯を置いた。
視線を落とし、底に残った水を見る。



――――― 『今』君が悲しむ、その理由は何だ?



水面が月光を弾く、その様子にふと目を奪われたその瞬間 ――――― 、

「…っ!」

突如与えられた感覚によって、思考は強制的に停止させられた。


「……伯符……」
一瞬にして絡みついた、両の腕。
耳元に寄せられた、唇。
強く押し付けられた、腰。
「…く、…うっ……」
武骨なその手は、既に追求を始めていた。


「…いつまで待たせるつもりだ、公瑾……」
不満そうな、低い声。
「…伯符…っん、…や、待…て……」
性急で正直な君だから、私にも真っ先に欲情することを強いる。

「もう待てない」

短い返事が耳に届くとほぼ同時、帯がするりと床に落ちた。


――――― ここへ来た最初の、あの遠慮深さは一体何処へ?
せめて牀台で、と願うが、背後からしっかりと抱き留められているその状態は、私の方では如何ともしがたい。
あるいは『牀台へ行け』と促す手もあったのだが、君はどうしてか私を絶頂へ導くのに余念が無く、そのために私は殆ど呼吸をすることさえ困難だった。

やがて抑えた呻きと共に精を吐き、それでようやく牀台へ連れて行かれた。
押し倒され、向き合う形となって視線が絡む。


君は私に言う。

「――――― 俺も結構辛いんだぜ?」


「…何が?―――…っ、…あ、ぅうっ!…」
「例えば、お前の『ここ』が拓くのを待つ事とかさ…」
「…いっ!…っ…仕方…無いだろうっ、……痛っ、…伯符っ!」
「――――― ごめん」

乱暴に探られる痛みに抗議の声を上げれば、君は簡単に謝ってみせる。

「……でもさ、考えてみてくれよ」
「うん?」
「知ってるだろ?…俺はお前より先に勃ってるんだぜ?」
「あぁ。……ん、…ぁっ…」
「でも、俺が満足する為にはまずお前を拓かなきゃならん。俺はお前の乱れる様を見ながら、ただ耐えて耐えて……。それでやっと、許される」


――――― その時、局所を探る指の数が増やされて、私は小さく、だが鋭い悲鳴を上げた。


「ほら、そうやってお前は俺を余計に焚き付ける」
「…ならば、…っ…私が、口を…使えば良いか……?」


「―――――…… 少し違う」
呟くように言って、君は指を全て抜き取った。
「…ぅあっ!…っは、伯符……何故っ…」
常より早い展開に、私は少なからず焦る。
「もう、平気だろ?」
「…い、ぃやっ、もう少し……あっ」
言葉空しく、力の抜けた両の足は軽々と抱え込まれ、無防備な痴態を余儀なくされる。

「よ、止せ、……まだっ!」
「じゃぁ、ゆっくり入れる。…それでいいだろ?」

――――― それでは変に痛みを長引かせるだけだ。馬鹿者め。



一呼吸置いて、牀台が軋んだ。
瞬間、酷い衝撃に息が詰まる。
呻きすら、出なかった。

「―――――……っく、…」
君は少し震えて眉を顰め、咽喉の奥から声を洩らした。


――――― どうだ?
強引に事を運べば、その分強い抵抗に遭うのだ。
既に何度も経験済みではないのか?


しかし、君はあまり後悔というものをしない性質の様だ。
改めて一呼吸すると、懲りもせず腰を押し付けてくる。
「…んっ、……は、あっ…」
君の呼吸は急に崩れていく。
だから、会話らしい会話も大体この辺りから無くなる。


「…っあ!…いっ、…ぅぁあっ…」
内部に深く侵入される疼痛で、私は思わず敷布を掴み込んだ。


――――― 待つのが、辛いか?
ならば今度、役割交替してみるか?
本来有り得ぬ役に甘んじる辛さを、君は解っていないに違いない。



間もなく、君は私を貪ることに夢中になる。
最初君の手は私の両足を支えているが、体勢に慣れてくると次第にそこかしこを愛撫し始める。
君はその際、私が再び欲情しているかきちんと確かめる。
していなければ、促すし、足りなくても、更なる欲情を強いる。
私の咽喉からは引切り無しに悲鳴が上がるが、当の私にはそれがどこか遠い場所からのように聞こえる。
それよりも、君の動きに合わせて軋む牀台の音や淫猥な水音の方が耳に障るのだ。
ゆえに私の耳は、ただ君の荒い呼吸や喘ぎのみを歓迎する。



「…公瑾……」

君はふと顔を近づけてきて、至る所に口付けを落とした。
そういう時、首に腕を回してやらないと君は必ず後で拗ねるから、私は軽く髪を掻き乱す様にその頭を抱いてやる。

「…ん……っ……」

息が酷く乱れているというのに、君は無理をして深く口付けようとする。
苦しさのあまり唇が離れてしまっても、惜しむように頤や首筋から離れようとしない。



――――― 時々、君の息遣いは泣いている者のように聞こえるよ。



しかし実際に涙を流しているのは、むしろ私の方であって ……――――― 。


「…っ、…公瑾……」

やがて密やかに字を呼んで、君はぐっと身体を寄せてくる。
腕を回し、首筋に顔を埋めて、なるべく肌が触れ合うようにする。
「…う、あ…っ……」
呻いて、沈み込んでくるように腰を揺するのは、君の限界が近い証拠だろう。


「…あっあっ、伯符、…ああぁっ…」

私は君の字を口にしながら、まるで救いようの無い声を上げる。
絶え間なく奔る刺激に身体は何度も跳ね上がり、思考は次第に溶けていく。

「公…うっ、……公瑾っ…、……―――――!」

苦しそうな声が、不意に途切れる。
頂点に達した正にその時、却って君は口を噤むからだ。
歯を食いしばり何も言わず、君はただ私の内に全てを放つ。



―――――…… 何故だろうな?
君は絶頂を極めるほど、私をよく呼ぶ。
そして私には、それが君から必死に話しかけられているように感じられるのだ。

……君が本当に言いたいのは、噤んでしまったその言葉なのではないか、と。








私の意識がふと戻った時、君は覆いかぶさるように私を抱き締めていた。
まだ汗の殆ど乾いていない肌が、ぴったりと身体に寄り添っているのを感じる。
幾度目かの絶頂で気をやってから、おそらく一刻と経っていないのだろう。

こうして行為の時に気を飛ばしてしまうことは珍しくなかった。
むしろ君は、私が気を失うくらいを目標にしている節さえある。



「―――――…… 公瑾、…」


耳元で小さく、君の呼ぶ声がする。

私は薄っすらと目蓋を持ち上げ、しかし身動き一つせず、答えることもしなかった。


「……公瑾……」


――――― また、呼ぶ。
それは先程より、掠れた声だった。





「……―――――――――――――…… 寂しい…」




それは本当に小さな声。
きっと、ほんの些細な風にも消されてしまうであろう、程。




――――― あぁ、伯符。
君は、どうしてそんなに酷い事を言えるのだろうね?

私が居るではないか。
これほど傍にいるというのに、君は孤独を感じるというのか?
『君さえ居れば…』という想いは結局、私の独りよがりに過ぎぬのか?






―――――…… 君が孤独を感じる時、

その為に私も孤独になることを、

君はきっと、知らないのだろう。








 了


つまり何が言いたいんだか意味不明。
自分勝手な二人です。

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